目呂二人形と『あいそめ屋』 の紹介

大正期、目呂二の名を広く世間に知らしめる事となった人形。
素焼きの土人形に、絵筆にて個々直接に彩色している。
当時よほどの人気を博したためか、目呂二の立ち上げた『あいそめ屋』ブランドにて意匠登録をし、模造品の出回ることを防いでいる。
製作年間、製作体数、頒布方法など、未だあきらかにされていない事も多く、確認できている現存品は10体に満たない。

あいそめ屋001『朝』

東京美術学校卒業の大正3年(1914年)大正博覧会出品作品。
近代彫塑としては本邦初の着彩の石膏像は、瑞々しく新たな感性にあふれて見るものを大いに驚かせた。
これが後の『目呂二人形』誕生のきっかけとなる。

あいそめ屋002目呂二人形『カメラ』 A

大正6年(1917年)目呂二人形は、当時人気を博していた“夢二の美人画”と並べ評されることもあったようだが、夢二のメランコリックなある意味デカダンチックな女性像とは違い、健康的ではつらつとした大正女性の姿を、確かなデッサン力と造形力で、美しく、艶かしく表現している。

どのアングルからみても手抜きや破綻が無く、極めて肉体的で、あきらかに“彫刻家の造った人形”であることを感じる
まさに、現代の「フィギュア」の先駆けと言えよう

撮影:板東寛司

あいそめ屋003呂二人形『カメラ』 B

大正6年(1917年)目呂二人形の特筆すべき点の一つとして、
その鮮やかで、精微極まる着物の柄が挙げられる

目呂二人形『カメラ』Aと対の関係の作品です。

撮影:板東寛司

あいそめ屋004目呂二人形『びんほつ』

大正6年(1917年)

撮影:板東寛司

あいそめ屋005目呂二人形『炬燵』

大正6年(1917年)

あいそめ屋006目呂二人形『ゑんだん』

大正6年(1917年)

あいそめ屋007目呂二人形『行燈』

大正6年(1917年)

あいそめ屋008目呂二人形『姿見』

大正6年(1917年)

あいそめ屋009東京名所絵はがき
『娘はたちまで』

大正4年~(1915年~)都会のうら若き女性のさりげない仕草や振る舞いを、独特の軽やかなタッチで描いている