JAZOO MANIA の紹介

1930年(昭和5年) 童画家武井武雄ら、自転車を愛好する芸術家を誘い『JAZOO MANIA Group』を結成。
言うなれば、「自転車狂の会」。

こだわりと凝り性の芸術家の集まりである。
その活動は世間の耳目を引きつけ、
新聞・雑誌など、当時のメディアの取材を度々受けることとなる。
翌年には、会報誌 『JAZOO-MANIA』 を発行するなど、
大変な熱の入れようであった。

この自転車熱が高じて、昭和5年 世間を驚かせ、
同時に熱狂的な喝采をもって喧伝された、
夫婦」冒険企画 『東海道中飛車栗毛』 へと繋がって行く。

JAZOO MANIA006JAZOO CARD(ジャズマニア会員証)

JAZOO” という名は、自転車を解体して並べた絵文字に由来する

 

JAZOO MANIA001

JAZOO-MANIAの献灯式

昭和5年(1930年)
上野公園五條神社にて2列目左端より目呂二、すの子、一人おいて武井武雄

JAZOO MANIA002左端愛車 「飛猫号」 と。
JAZOO MANIA003雑誌 「ホーム・ライフ」 誌上にて特集された、JAZOO MANIAの活動風景。
左端より 棟方志功・目呂二・妻スノ子右端より3人目が、版画家であり美術家の料治熊太。青梅街道を所沢に向けてひた走る。
JAZOO MANIA004昭和5年(1930年)10月1日
東京日本橋より大阪日本橋の間の東海道五十三次を自転車で走破するという仰天パフォマンスが『東海道中飛車栗毛』
当時は“自転車旅行”の発想もなく、しかも“夫婦そろって”の珍道中ということで、出発時には多くの見送りと野次馬が人垣を作り、新聞・雑誌の取材が殺到したという。『JAZOO』の仲間たちはもちろん、 『我楽他宗』の面々も凡人には思いも付かないこの蛮勇に喝采を送り、目呂二・すの子夫妻の元には、激励文、餞別などが数多く送られた。
JAZOO MANIA007

千社札
武井武雄作

『JAZOO-MANIA』から贈られたもの

 

JAZOO MANIA008千社札
三田平凡寺作

『我楽他宗』から贈られたもの

 

JAZOO MANIA00910月22日 無事大阪に到着『我楽他宗』同人による歓迎会が、盛大に催された。
(写真 料亭「芦月」にて)

JAZOO MANIA005「飛猫号」製作した二葉自転車の商標

この『東海道中飛車栗毛』という、前代未聞のパフォーマンスが敢行された所以とは何か?
一言で言えば、周囲を気遣い、人々を楽しませようとする、目呂二一流のサービス精神の発露に他ならない。
いずれにしろ、大正デモクラシーが終焉を向かえ、閉塞と不安という闇が徐々に見え始めていた昭和の始めに、人々の笑いと供に颯爽と駆け抜けた、痛快なる一陣の風であったことは確かであろう。