九美洞図案社 の紹介

東京美術学校を卒業した翌年の1915年目呂二は、当時化粧品のトップメーカーであったレート化粧料本舗(平尾賛平商店)図案部に入社する。

時は、大正デモクラシーの真っ只中。
モダンな空気に満ちあふれる、花の都東京。

もとより竹久夢二に傾倒し、自作の石膏像に着色まで施してしまった目呂二である。
美術館の中に閉じ込められ、限られた人間に向けて創作される、沈鬱な“アカデミズム”よりむしろ市井をモダンに彩り、大衆の気分を華やかに高揚させる“商業美術”の世界に心を惹かれていたことは、想像にかたくない。

まさに、当時最先端といべきサブカルチャーシーンに目呂二も存在し、
やがて同時代の作家たちと供に、昭和元禄を頂点とする戦前の大衆文化の隆盛と成熟を担って行く。

『九美洞』とは、大正期に日本に上陸し人気を博した“キューピット人形”と
古来の狐神“九尾狐”と語呂合わせした、目呂二お得意の言葉遊びである。

九美洞図案社001『九美洞凹凸化(おどけ)あそび研究所』リーフレット

九美洞図案社002『レート白粉』広告

大正4年~(1915年~)

九美洞図案社003 山野楽器刊 新作小唄 『海の鳥』 表紙画

大正13年(1924年)銀座 山野楽器店より刊行されていた中山晋平・萱間三平作曲の “小唄” の歌集

全4ページの小雑誌の表紙絵

九美洞図案社004 山野楽器刊 新作小唄 『椰子の葉陰』 表紙画

大正13年(1924年)銀座 山野楽器店より刊行されていた中山晋平・萱間三平作曲の “小唄” の歌集

全4ページの小雑誌の表紙絵

九美洞図案社005「マネーキー」頒布ポスター

大正13年(1924年)

撮影:板東寛司

九美洞図案社006 「フライマメ」ポスター(原画)

ふたばやじまんのフライマメ
やけにおいしいのよ

九美洞図案社007趣味のエハガキ
『肉線百裸体』

大正14年

九美洞図案社008趣味のエハガキ
『肉線百裸体』

大正14年

九美洞図案社009趣味のエハガキ
『肉線百裸体』

大正14年

九美洞図案社010『レート白粉』広告

大正14年