『おもいで草々』 7話

【二弦琴(ニゲンキン)】
父(目呂二)は、音楽も好きだった。
その名残が、今も追分(長野県)においてある二弦琴である。
三味線も弾いたし、ヴァイオリンも自己流に弾きこなし、一人悦に入っていた。
師匠に習ったことはなかったようだが、私が小学生の頃に聞き覚えた唄や地方民謡のようなものを弾いていた。
その父がある時、酒の席で気に入らないことがあったらしく、三味線・ヴァイオリンを自分で叩き毀してしまった。
私はこの時の経緯は知る由もなかったが、普段温厚な父の、全く知らない半面をみたことであった。
父の祖母殿の遺品だった“二弦琴”は難をのがれて、定位置の床の間に置いてあった。
気がむくと、手もとに持ってきて、胡座(アグラ)をかき、象牙で出来た右手用の爪と、音量を換えるに必要な左手中指に嵌める、象牙で中空に出来ている道具を用意する。
自分なりの音曲を弾き、楽しそうに「ニッ」と笑んで悦に入っていた。
あの時の声にも出さない、楽しそうな、ほころんだ顔が、私は好きであった。

父とは畑違い(音楽関係者)と思われるお友達に、雅楽の芝祐泰氏、作曲家の杉山長谷雄氏、声楽家の柴田秀子夫妻、チェリストの池田勇人氏、ハーピストであり、日本古来の十三弦琴の京極流師範の雨田光平氏、と数えるときりがない。
そして親交が厚かった。
父の音楽好きを引継いで、私は本格的に音楽の勉強をすることになった。
柴田秀子先生の弟子となり、柴田先生が教鞭をとっておられる東洋音楽学校(現、東京音楽大学)に入学した。
そして卒業の年に終戦をむかえた。
私は疎開先の軽井沢で、国民学校、中学、高校で、“チーチーパッパ”や少し難しい楽典などをしながら、父と百姓の一年生をしていた。
(K.ソロ)

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