広く世間を騒がせた飛車栗毛のパフォーマンスは、それを宣伝したメディアによって、“奇人の人”としての目呂二のイメージを決定的なものとした。
しかしその素顔は、優しく、穏やかな性情の目呂二である。
50歳を前にして、“奇人・目呂二”を演じ続けることに、いささか疲れを感じていたのではあるまいか。
1934年(昭和9年)の元旦より『龍興』(りゅうこう)の名を用い始める。1932年(昭和7年)頃から始めた山行を通じた大自然で過ごす時間が、目呂二に大きな変化をもたらしたと思われる。
1938年(昭和13年)自由律俳句の萩原井泉水に共鳴、師事し、ありのままの自然の情景を詠みこんだ句作を重ね、これらの句は、しばしば目呂二の俳画に伴われている。
否応無くコマーシャリズムにまみれていく “目呂二” の名を離れて虚飾のない自然を通して自らの姿を見つめなおすとき、『龍興』の落款は、欠くべからざる「真の己の証」であったのであろう。
これらの俳画は、激動の時代を駆け抜けた末に目呂二が辿り着いた、表現者としての、そしてひとりの人間としての「境地」といえる。
わらぐつの 音に雪のくれて 炉の火 |
無いままに待ち炉の火 山のもの塩出ししてある |
はなびらが こぼるる ひとこえ |
にわさき まつばぼたん ありがなにかはこんでゆく石のかげ |
黒猫撮影:板東寛司 |
『自画像』猫 |
みぞれて いちんちがくれる ろのひ |
『あけび 秋いろ』 |
『あけび』 |
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