構造社 の紹介

大衆向けの人形作りや、商業美術界で活躍する傍ら、己の創造の原点である塑像の制作も、やむことなく取り組み続けていた。

当時の帝展の権力抗争に不信を抱き、その不透明な審査制度を痛烈に批判していた目呂二にとって、反官展を唱え、実社会との関わりの中で、新たなる彫刻の価値を創出せんとする美術団体 「構造社」 は、まさに己の意を得た作品発表の場であったといえよう。

昭和5年の第4回構造社展より出品を開始。
その後の幹部会員同士の度重なる内紛もどこ吹く風で、構造社解散に到る昭和18年の第16回展覧会まで、コンスタントに個性的な作品を出品し続けた。

昭和12年(1937年)には、文展(文部省美術展覧会)無鑑査となっている。

構造社001『非憤』

ブロンズ

1918年(大正7年)第12回文展出品

構造社002『猫供養塔』

1933年(昭和8年)第7回構造社展出品

東京西落合・自性院

構造社003『接吻』

1930年(昭和5年)第4回構造社展出品

瑞々しい感性が、「まさに200パーセントのエロ」と新聞で評された。

モデルは妻のすの子である

構造社004胸像制作中の目呂二

構造社005『カナリアを見て居る小猫』

昭和8年(1933年)

澤村鐵蔵企画の「白銅鋳猫頒布会」の会員に頒布。

主催者に東郷彪が名を連ねている。

構造社006『裸婦』

ブロンズ
年代不詳

構造社007昭和10年(1935年)
満州国初代総理大臣鄭孝の胸像を制作。

構造社008『猫三匹』

 石膏着彩
年代不詳