河村目呂二(かわむら・めろじ)とは 1886(明治19)~1959(昭和34)年

河村目呂二002不世出の趣味人であり、無双の芸術家 『河村目呂二』 が、軽井沢の追分山荘 「木通庵」 で没してから、およそ半世紀の年月が経とうとしています。

この半世紀の日本といえば、めまぐるしい変化の中で、大きな進歩を遂げると同時に、日本らしい原風景や精神性など、失ってしまったものも、また数多くあるのではないでしょうか。

現在では、 “スローライフ” の名のもとに、自然に寄り添い、自然とともに生きる古き善き “日本の暮らし” が、さかんに見直されておりますが、それはまさに、戦後、目呂二が軽井沢で営んだ生活そのものなのです。

「木通庵」 に残されている小さな彫刻の数々や、里山の自然を描いた俳画・スケッチなど、あらためて見直しておりますと、そのどれもが、あまりに優しく、いとおしく、都会の喧騒を離れた地での目呂二の暮らしが、どれほど美しいものであったか偲ばれてやみません。

大正から昭和にかけて、目呂二の作品と足跡は多方面にわたり、現在、その特異な個性と業績が見直され、あらためて調査・研究が進められています。