『おもいで草々』 8話

【武井武雄(RRR)さん】
父(目呂二)は、オープンな性格であったのか、家族ぐるみのおつき合いをしていた、ご家族が何人かおられました。
武井さんは、その中のご一家で、池袋の奥というか、はずれあたりにお家がありました。
お庭は河村家とはまるで違う感じで、子供心に、絵本の中の南方のジャングルのように思っていました。
名前も知れない大木や、バナナの木?等が庭中に植えられていました。
その庭の奥に洋館風のお家がありました。
お庭に面した一角に、ガラスだらけの洋風のお部屋があって、そのお部屋はコレクションのコケシで一杯でした。
大きいの、小さいの、外国のものらしい等々、床から壁の棚、天井まで処せましと置かれていました。

武井家には夫人の他、照武(テルタケ)君、可矢(カヤ)君、三春(ミハル)ちゃんの3人の子供がおられ、長男の照武君とは小学校も同学年、クラスは男女別でしたが、私には珍しい兄弟のようなお友達でした。
父と同業の日名子実三氏の息子さんも照武君と同級でした。
お宅に遊びに行くと、画用紙を切って、マッチ箱くらいの自動車をいくつも作って遊んだり、湿気っぽい庭で蛙をさがしたりしたものです。
父も、武井の小父さんも自転車マニアで同好の志を集め、遠乗り会までしていました。(JAZOOMANIA  ジャズマニア)
私も照武君も子供自転車で、お供させてもらったものです。
遠乗り会の集合写真の1枚に版画の棟方志功も仲間として写っていました。
武井の小父さんは、今思い出してみると、色白のシャレ者で、作品の童画の男性に似てると思います。

戦後、三春さんから、信州に父の記念館(イルフ童画館 岡谷市)を造りたいので、私のところに何か残っているものがあったら、寄付してほしいとの話があり、スクラップブックの古いのを探し、武井さんの手紙や思い出にかかわるであろう物を一緒に贈りました。
その三春さんも亡くなられ(2006年5月 享年78歳)、淋しさだけが残っています。
(K.ソロ)

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